家から自転車で10分。雲ひとつない青空に、あたたかい春の太陽。
街路樹の木陰が心地いい道の角を曲がれば……そんな世界の陽気にそぐわない、寂れたお店。
よくいうのであれば、雰囲気のあるお店……?
かろうじて読める看板には「恐竜グッズ専門店 ガオガオ共和国」
てとらはそのお店の、看板アイドルになったのだ。
story:2 いたいけな子供になんて事を
「なんですか……このハチャメチャな服は……」
「ふふふ~!きみのアイドル衣装だよ~!こう見えても私、学生時代は演劇部でね。とっておいてよかった~~!」
「写真撮影をするよ~」と連絡を受けやってきた、てとらの目の前には、テーブルの上にドサッと広げられた大量の衣服。ドレスにピエロにどうぶつの着ぐるみに、ふんどしや全身タイツ、その当時流行したであろう芸人の衣装、あらゆる種類のかぶりものも、ぜんぶで何個あるのだろうか。いったいどんな劇をしてたの……そんな疑問を抱きつつ、はたしてこの中に着れるものがあるのかと、ひきつった笑顔で眺める。
「ぼく一発屋芸人にはなりたくないです」
色とりどりの衣服に目を細め、低く訴える。
「ええ~~?だってさ、もう世の中にはたっくさんのアイドルがいるんだよ~!その中で輝くためには、インパクトって大切だと思うけどなぁ。最近出たジャーニー事務所のセクシーボーイみたいな路線もありなのかな。少年の無垢なお肌……んん~~個人的には最高」
「はは……店長さんの言いたいことはわかりますけど……。あ、あの、いまさらなんですけど、お姉さんの名前、まだ聞いてなかったです。」
「あらら、つい興奮してすっ飛ばしちゃってたわ。私の名前は、かおる。自由に呼んじゃっていいよ~~。ちなみにこっちの子は、もこ丸。」
そう言って、先日から机の上に置いたままのパペットの頭をぽんぽんと叩き、にへらと微笑む。
「……もこ丸。ぼくの名前は、てとらです。花丸てとらって言います。」
てとらの視線の先には、パペット——もこ丸。そう、今日もてとらは、ずっともこ丸を見つめて喋っていた。
「私のことも呼んでよ~~!ほらほら、お姉さんの目を見て!ほらほらー!」
めそっと寂しそうに眉を下げて、かおるはてとらの頬を両手できゅっと挟み自分の方を向かせた。すると、ボンッ!!!と、そんな効果音がしそうな勢いで、てとらの顔が真っ赤に染まった。湯気が出そうなほど熱くなった顔で、まん丸な目をパチクリさせ、カチコチに固まってしまっている。
「……にゃーるほどお~~」
にやっといたずらな笑みを浮かべ、ずずいっと顔をてとらに近づける。
「……!!!」
シュッ!!ドタドタドタ……ドテンッ!!
かおるの手をすり抜け、あわてふためきながら玄関の方に走り、足が絡まり前のめりに転んだ。うう……と、うつぶせのまま膝を抱き寄せ、だんご虫状態でぷるぷると震えている。
「いたいけな子供になんて事を……」
「……ぷっ!!あっはは!!まったく目を見てくれないから私嫌われてるのかと思ったんだけど……。人見知りかな?シャイなおこちゃま、かーわいい~~!」
かおるは、探偵のように腕を組んであごに手をあて「これはこれでお姉さま方にバカ受けする路線なのでは……」とボソボソ呟きながら、うんうんと首を縦に振っている。
「いける、いけるよ~~!守りたくなるかわいらしさ重視!握手会ならぬ、なでなで会を開けば……!仕事に疲れたお姉さまのハートを癒してそのまま鷲づかみでファンをゲット!!」
ガタガタとテーブルにノートパソコンを開き、もの凄い勢いで作業を始める。てとらはまだぷるぷるしている体をゆっくりと起こし、チラリとかおるのほうに視線を向けて
「な、なでなで会とか、ぼくどうにかなっちゃうよ……!かかか、かおるさん!かおるさんってば……!ねえ!」
てとらの必死の叫びも、ノリにノッているかおるには届かず、あれよあれよと企画書が作られていく。物にホイホイと釣られて、アイドルをやると言ったことを激しく後悔した。自分の人見知りと恥ずかしがりや具合を忘れていたわけではない。それを踏まえても、ガオベエくんウィンク版入荷の魅力が勝っていたのだ。やると言ってしまったからには、もうどうにも止まらさそうな怒涛の速さでキーボードを打つかおるを、呆然と眺めることしかできなかった。
「ふふふ……あははは……見えてきたわ……復興のチャンス……!恐竜グッズ界のレジェンドになるのはこの私よ!てとらくん!企画書ができたら、写真撮影だ!かわい~く撮ってあげるからね~~!」
「ひゃっ……ひゃい!」
突然、射抜くような目でこちらを振り返ったかおるに、てとらはビクッと裏返った声で返事をし、そのままただただかおるの姿を見つめて、作業が終わるのを待つのだった。
* * *
「いや~~待たせたね~~」
「もとのかおるさんだ……」
企画書にすべてをぶつけクールダウンしたのか、さきほどの魔王のような気配はなく、にへらっと笑うかおるさんに戻っていた。
「ははは……火がついちゃうと止まらないタチでね~。あ、そうそう。衣装だけど、その私服そのまんまでいいよ~~考えたらこんなおもちゃ屋のアイドルだし、芸人みたいになってもあれだからね~~。」
「で、ですよね……」
こっちこっち、とかおるに連れられ2階へ上がると、かわいい布が壁に貼られ、両サイドにライトが置かれた小さくもしっかりとしたスタジオスペースがあった。かおるは、カメラの前に設置された商品の撮影用であろうかわいいテーブルを端に寄せて人が立てるスペースをつくり、少ししわのよった布を伸ばしきれいに整える。
「よし!このガオベエくん持って、そこに立ってみて。……うんうん、ちょっと斜め向いて顔はこっちに。あ、ガオベエくんも前に向けてね。」
テキパキと指示を出し、言われるがままにせっせとポーズをとるてとらをパシャパシャと撮影していく。
「まずはこんなものかなぁ~~。私、実家が写真館やっててね。実家にいた頃はよく手伝ってたから、多少は見れるものが撮れると思うんだ~~」
「そうなんですね。なんでおもちゃ屋さんを始めたんですか?」
話しながらもパシャパシャと撮り続けるかおるに、てとらもぎこちなくポーズをとりながら質問を投げかけた。
「ん~~。写真館でね、子供ってかわいいな~って思ってね。おもちゃで必死に笑わせたりもしたし、ぬいぐるみを持たせただけでにっこにこする子もいたり……。とにかく、そんな笑顔がたくさん集まる場所にしたくて。まあ、恐竜グッズを重視したのはただの好みだけどね~~。」
カメラのデータを確認し、ふう、と息をついてパソコンが置かれた机に向かう。てとらを手招きして、パソコンの画面に撮影した写真を映す。カラフルな服が明るい背景によく映えて、とてもポップな写真に仕上がっていた。
「うんうん、なかなか良いんでないかな!まずはホームページに載せて、チラシを作って…あ、てとらくんも一緒にチラシ配るんだよ~~宣伝効果が違うからね。」
「…!!かおるさんがやってください…!!ぼく、えっと、み、店番!してます!!!」
「何言ってるの!アイドルだよ~~?これから歌ったり踊ったり、たくさんの人に見られようとしてるのに。チラシ配りから慣れていかないと~!」
わかってはいたけど。覚悟しなきゃと思ってはいるけど。まだ覚悟が完璧にできたわけではない。考えただけでも逃げ出したくなる気持ちに、てとらはぐるぐると頭を悩ませ、ハッとした顔で1階に駆け下り、また2階に駆け上がってきた。
「これ!着て配ってもいいですか……!」
これならば、と持ってきたのは、かおるが持参した衣装の中にあったクマの着ぐるみ。もこもこのかぶりもので、顔までしっかり隠れる仕様のものだ。かおるはポカンとてとらを見た後、にこっと微笑み着ぐるみを優しく受け取り後ろに放り投げた。
「だ~~~め。明日にはチラシ印刷できてるから、覚悟してきてね。」
優しい笑顔が、逆にとても怖い。花丸てとら、中学年生。自業自得という言葉を、身をもって知りました。